しゅわりん☆どり~民

メモ書き。Twitterで書くと臭すぎて恥ずかしくなる考察など

藤春廣輝選手と、俺

彼との出会いは、2011.9.10開催のホーム大宮アルディージャ戦だった。

 

当時の自分は、サッカー観戦こそ両親の影響で嫌いではなかったし、中学校で配られたタダ券で京都サンガの試合を見に行っていたりもしていたけれど、そもそも自分が運動音痴・アニメ好き・インドア派の三拍子揃ったナードくんだったのもあって、そんなに特定のサッカーチームに肩入れするつもりは無かった。

そんな中、母親がガンバ大阪の昔からのサポーターだったのもあり、自分の高校受験勉強の息抜きも兼ねて、家族で万博陸上競技場での試合を見に行く流れになり、先述の試合を見に行った。

 

そんな試合で、とんでもないスピードで敵陣に突っ込んで相手DFを翻弄したと思ったら、次の瞬間には山口智にめちゃくちゃ怒鳴られて急いで自陣に戻る、プロサッカー選手(しかも、当時は名門だったガンバ大阪の選手)としてはあまりにもピーキー過ぎる左サイドバックの選手のことが強烈に印象に残り、「勉強はちゃんとやるから、今シーズン中でもう一回、またガンバを見に来たい」と親に強く要望したのを今でも覚えている。

それが、藤春廣輝と俺との出会いだった。

 

2012年には、親に頼み込んで、4番のコンフィットTシャツを買った。

2013年には、家族全員でゴール裏に通うようになり、苦しいけど忘れられないJ2での1年間を共に闘った。ホーム最終節でJ2優勝を決めて号泣する彼を見て、俺も号泣した。

2014年には、大学受験の勉強をしながらも無理矢理ルヴァン決勝と徳島のJリーグ優勝決定を彼と一緒に喜んだ。

親が大学の2次試験勉強用のノートに藤春のサインを貰ってくれたけれど、彼の『受験』の字は自信無さげに何回か修正されていた。

2015年、彼が日本代表に選出された時には自分のことのように狂喜乱舞したし、2016年のリオ五輪でのオウンゴールがきっかけで彼が誹謗中傷された時には、自分のことのようにブチブチにキレ倒してていた。

2017年のアウェイ大阪ダービー、高速でキーパー前のスペースに走り込む彼らしい形で先制点を決めた時には、長居スタジアムの段差を3段ほど落ちるくらい喜んだ。

2018年頃から、ほんの少しではあるが、徐々に年齢を感じさせるようなプレーが増えてきて、2019年に怪我をした時には驚いた。

彼のウリの一つは、ACLで中国チームやタイチームにハチャメチャに削られても怪我一つしない身体の強さだった。

そんな中、黒川圭介が入団して台頭してきても、彼は移籍することなく黙々と練習していたし、この頃あたりからか、ベテラン選手として後輩に慕われているといった話が聞こえてくるようになった。

ケガをしても、有望な若手が出てきても、クラブの方針がブレだして徐々にチーム全体が弱くなってきても……彼はベテラン選手としてチームに必要な「コマ」であり続けていたし、当時、就職し初めて親元を離れた自分に勇気を与えてくれた。

2022のホーム最終節、黄金の脚賞に選ばれた黒川を、まるで自分が受賞したかのように喜んでいる彼を見て、2011、2012年あたりの、ファンサービスでもどこか恥ずかしそうにしていた彼はもういないんだな、と感じていた。

 

そして、2023年、ついに彼もガンバ大阪から去る日が来た。

今日の神戸戦、藤春チャントでスタジアムの空気が震え、同じく既に退団の決まっている塚本と同時投入された時の消化試合とは思えないあの異様な雰囲気を作り出したのは、紛れもなく彼が13年間積み上げたものの結実だったし、だからこそ、それをもっても負けてしまったことが悔しかった。

努力は必ず報われるとは限らないし、物語のようにハッピーエンドで終わることなんて、現実では稀なんだろう。

それでも、カテゴリーが変わってチームが変わっても、彼は変わらず黙々と努力し続けるんだろうし、そんな彼の姿勢をガンバの選手たち、特に彼から実力でスタメンを奪い取った黒川には、継承してほしいと思っている。

 

何故自分がここまで彼のことを好きになったのか考えると、不器用ながら自分のピーキーな能力を最大限活かし、ただひたすらに黙々と努力し続け、自分の役割を全うしようとする姿に、(失礼な話だとは思うけれど)根暗で、不器用で、自己評価の低い自分を重ねて、それでも諦めず黙々と努力すれば………と、勉強や部活や社会人生活の希望にしていたんだと思う。

そして、自分以外のサポーターも、そんな彼の姿に魅了されて、今日のあの雰囲気に至ったんだと信じたい。

 

思えば随分遠いところまで来た。

当時中3のガキだった自分は小太りのアラサーサラリーマンになったし、ゴール裏初期にお世話になったサポーター連合のお兄さん達は家庭ができてあまりゴール裏に来れなくなったし、親は随分老け込んで気付いたらかつての祖父母みたいになってきた。

そして当時ルーキーだった藤春廣輝は、ガンバのレジェンドの一人として惜しまれながら退団した。

 

一瞬の13年間だったけれど、彼と出会うことができて、彼のことを応援し、ゴール裏で共に闘うことができて、そして彼の変化や成長を近くで見ることができて……俺は本当に、本当に幸せでした。

 

俺のガンバ大阪サポーターとしての人生も続くし、彼のプロキャリアも続いていく。

どこかでまた、会えると良いな…。